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『篠田桃紅展』を訪れて:<後半>茶杓の銘に思いを馳せることについて

  • 執筆者の写真: TEA HOUSE SETAGAYA 茶道教室
    TEA HOUSE SETAGAYA 茶道教室
  • 2022年6月22日
  • 読了時間: 2分

たった1つの、文字に自分の感覚をどこまで震わせることができるのか。例えば「火」というそのカタチを取り去った時、そこには何が残るのか。その何かを、心で筆で懸命にあらわしている緊張感を桃紅の作品から感じました。



これは茶道をする際にも大切な要素だと、改めて思います。季語や禅語の練習をするために、稽古の道具拝見の際に茶杓にご自身で銘をつけていただくことにしています。茶杓はいつもと変わりないですが、そこに自分の心を込めることでその場で表現したことが展開されていきます。


「青田」と仮に名前を付けたとしますが、青田の奥に隠されているエネルギーや物語、に自分の心を震わせることができなければ、それは単純なる言葉を発しただけになります。


「青田」とはまだ実っていない稲穂の青々とした様子。頃としては7月下旬。単純なる田園の景色だけでしょうか、そこにあるのは。青々とした稲穂群がそこに存在するために、手をかけた農家の方々のご苦労、水、太陽、土の恵み。立派な稲穂をつけてほしい、つけてくれるだろうという祈りにも似た期待感。そして生命のきらめきがそこに見えてくると思います。


人によってはまた違う景色をそこに見ることでしょう。大切なのは何を見るかではなく、そこにあるものを見ようとする心です。

”この茶杓の銘は「青田」です。”

”そうですか、季節のものをありがとうございます。”


の会話の中に何か生まれているか。生徒さんたちには感じてほしい。


どういった思いで、ここにこの銘をつけようとするのか。その銘を聞いて、ご用意してくださった方のそうした思いを汲み取る。その心のやりとりこそが、茶を介して集まることの醍醐味であるとも思います。


小さいことから無限の広がりを生み出すことは、日本人が得意としているところでもあります。

ものやカタチに頼らず、その奥のお互いの心を感じて、表現して心をお返ししていける、茶杓の銘をやりとりすることでその心を育てていって欲しいという気持ちを込めて。

—- 『篠田桃紅展』Toko Shinoda:a retrospective 2022年4月16日-6月22日(水) 東京オペラシティ アートギャラ

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